Yさんの分度器
受験勉強の真っ最中だった春のことです。
塾で大事なテストがあり、いつもより早く教室に入りました。机の上に筆記用具を並べ、深呼吸をして問題用紙を待っていたとき、ふと気づいたのです。分度器を忘れてきてしまったことに。
頭の中が一瞬真っ白になりました。家に取りに戻る時間はありません。先生に言うべきか、それとも何とかなるだろうか。
けれど、数学の図形問題にはどうしても必要でした。焦りで指先が冷たくなり、心臓の音だけがやけに大きく聞こえました。
そのとき、同じ教室のYさんが小さな声で「これ、使う?」と分度器を差し出してくれました。予備を持っていたそうです。
迷いのないその手つきに、胸の奥がふっと軽くなりました。
「本当にありがとう」と何度も言いながら受け取ったことを覚えています。テストが終わったあと、改めてお礼を伝えると、Yさんは「大丈夫やって」と笑いました。その何気ない一言が、どれほど心強かったことか。
受験というのは、自分一人で戦うものだと思っていました。けれど実際は、こうした小さな支えがいくつも重なって、前へ進んでいたのだと思います。分度器一つの出来事でしたが、あのとき感じた安心感と感謝は、今でもはっきり覚えています。
春になると、新しい挑戦の緊張とともに、あの教室の空気を思い出します。そして、自分も誰かの「予備」になれる人でありたいと、そっと思うのです。
<編集追記>
しまいきれない春の想い出は、誰かに助けられた記憶として、これからの自分を支える力になります。サブクロに預けるのは物だけれど、本当に大切なものは、きっとこうして胸の中に持ち続けていくのかもしれません。
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塾で大事なテストがあり、いつもより早く教室に入りました。机の上に筆記用具を並べ、深呼吸をして問題用紙を待っていたとき、ふと気づいたのです。分度器を忘れてきてしまったことに。
頭の中が一瞬真っ白になりました。家に取りに戻る時間はありません。先生に言うべきか、それとも何とかなるだろうか。
けれど、数学の図形問題にはどうしても必要でした。焦りで指先が冷たくなり、心臓の音だけがやけに大きく聞こえました。
そのとき、同じ教室のYさんが小さな声で「これ、使う?」と分度器を差し出してくれました。予備を持っていたそうです。
迷いのないその手つきに、胸の奥がふっと軽くなりました。
「本当にありがとう」と何度も言いながら受け取ったことを覚えています。テストが終わったあと、改めてお礼を伝えると、Yさんは「大丈夫やって」と笑いました。その何気ない一言が、どれほど心強かったことか。
受験というのは、自分一人で戦うものだと思っていました。けれど実際は、こうした小さな支えがいくつも重なって、前へ進んでいたのだと思います。分度器一つの出来事でしたが、あのとき感じた安心感と感謝は、今でもはっきり覚えています。
春になると、新しい挑戦の緊張とともに、あの教室の空気を思い出します。そして、自分も誰かの「予備」になれる人でありたいと、そっと思うのです。
<編集追記>
しまいきれない春の想い出は、誰かに助けられた記憶として、これからの自分を支える力になります。サブクロに預けるのは物だけれど、本当に大切なものは、きっとこうして胸の中に持ち続けていくのかもしれません。