「お疲れ様」でしたの一枚

(此花区 30代 女性)

数年前の春、長く勤めていた職場を退職しました。
桜が咲き始めた頃で、通い慣れた道を歩くだけで胸が詰まるような気持ちになったのを覚えています。毎日何気なく通っていた景色が、その日だけは少し違って見えました。見慣れた交差点も、いつものコンビニも、「最後」という言葉をまとっているように感じられたのです。

最終出勤の日は、思っていたよりも慌ただしく過ぎていきました。書類の整理や引き継ぎ、挨拶まわり。
実感が追いつかないまま、時間だけが流れていきます。

帰り際、特別に親しかったわけでもない同僚の方が、そっと声をかけてくれました。そして、小さなお菓子と一枚のメモを手渡してくれたのです。メモにはただ、「お疲れさまでした」とだけ書かれていました。

たったそれだけの言葉でした。でも、その簡潔さがかえって胸に沁みました。頻繁に話したわけではありません。
それでも、どこかで気にかけてくれていたのだと感じた瞬間、涙が出そうになりました。

その夜は、皆が送別会を開いてくれました。にぎやかで、笑い声が絶えず、本当にありがたい時間でした。けれど、不思議なことに、今もいちばん鮮明に思い出すのは、あの一枚のメモなのです。

派手な言葉ではなく、飾らないひとこと。長い年月を静かに包んでくれるような、やわらかな余韻でした。別れとは、大きな区切りであると同時に、こうした小さな温もりによって支えられているのかもしれません。

春になると、あの通勤路と桜並木、そして「お疲れさまでした」の文字が、ふっと心に浮かびます。


<編集追記>
しまいきれない春の想い出は、こうした一枚の紙の中にも静かに息づいています。サブクロのクローゼットの奥にも、誰かの大切な節目がそっと重なっているのでしょう。
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